僕らは、ロックの産声を再び聴いている

イギリスでスコットランドの独立が現実味を帯びてきたらしいです。へー!へー!

欧州では独立ラッシュらしい。ロックだなー。とんでもないことになるかもしれないけど、こういうことは、格差が無いもののように扱われる日本では起こりえないのだよに。格差が目に見える形で明文化している国のロックは格好いいと相場が決まってる。ロックは永遠にイギリスのもの。


そんな中、こんなのがtwitterのTLに流れてきたのですかさずRTしました。


「60年代ファッションの復活―時代を超えた新しさ」
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052970204707704580142954102642336

最近、ファッション界には60年代の嵐が吹き荒れている。ヴァレンティノが過去数シーズンのショーで発表してきたウエストが絞られたミニドレスやハイネックのガウンがその前兆だった。この秋、グッチのデザイナー、フリーダ・ジャンニーニ氏はイタリア的視点の豪華さとリフレッシュされたミレニアムカラーのペイレッテを取り入れた英国のドーリーバードルックを練り直している。たとえば、ミントグリーンのアンゴラのマーティンゲールコート(ダブル)にスカイブルーの先細レザーパンツとパイソン柄のチェルシーブーツを合わせる。一方で、レトロに今日的な意義を持たせる達人として有名なイヴ・サンローランのデザイナー、エディ・スリマン氏は秋のコレクションのテーマを60年代ロンドンの流行発信地「カーナビーストリート」にし、脚線美を見せるロッカー風のドレスとクールな女学生風のケープを生み出した。

アンテナの鋭いデザイナー達が、このポイントに矢を立てているのは、偶然ではなく、欧州全体の機運を表しているように思います。60年代、70年代というのは、政治に物申していた時代の流れを受けているのだよね。これは、「主張」なのです。一方で、ハイブランドでは、「ラグジュアリ+スポーティ」というもうひとつのコンセプトが数年取りざたされていて、これは、NYあたりのデザイナーが中心なんじゃないだろか。昨今の経済社会や生活スタイルの変化の流れを受けています。


「俺たちの生活を、この気持ちをどうにかしろよ」って権力に物申すのってすごくパワーがいる事です。んで、それを踏襲している現在のハイブランドとそれを作るデザイナー、そして、ラグジュアリ+スポーティーの流れを汲むハイブランド、この二つを比較すると、とても面白いように思います。こういうのは、欧州やNYの一線でご活躍のデザイナーが切磋琢磨してコンセプトを立て、ブランディングしていくことなので、日本の芸能の片隅でひっそりと生きている作曲家の私は、考える時間を取ろうとは思わないのだけどね。でも、おもろいよね。


冒頭でも書きましたが、そういう主張がホットになるのは、「格差が目に見える形で明文化している国」に限るのです。これが60年代、70年代のロックの黄金期を作り上げた。「俺は黙ってらんねーぞ」という主張が、ロック界のピークを作ったのです。


んで、日本で格好がいいロックをやろうと思うと、まず、どこに格差があるか、はっきりさせなきゃいけない。その格差を生み出してる対象や権力に対して物申すのがロックだからね。よう見えんよね。うんうん。だから、まず日本のロッカーは社会学者にならなきゃなんない。この時点で、もう全然ロックじゃなくなっちゃう。なんでかって、お勉強すると「理解」しちゃうからさぁ。ロックは「納得できねーぞおいこら」「俺は黙ってらんねーぞ」って言うわけ。でも、「理解」しちゃうと「おいこら」って言うのが難しくなってくるのね。今の日本で「納得できねーぞおいこら」「俺は黙ってらんねーぞ」って言うとしらーっと見られるのがオチですよね。みんな頭良いね()。けどさ、私、これは、日本の深刻なエラーだと思う。(PCに表示されてムカついたので、一度「深刻なエラー」って書いてみたかった)


あと格差については、その構造をはっきりさせたくない人が沢山いたりしますね。問題はなかったことにしたい人、組織、見栄をはる組織、人、みんなやってるからOKな組織や人。現実を見たくなかったら、逃避先はいっぱいあるお。日本はそういう逃避先がとっても豊富なんだお。


誰に何言っていいのかわかんない国にロックは生まれない。模倣はできるし、日本人はそゆの上手だし、2005年には、The Black Eyed Peasが「Monkey Business」なんてアルバムを出して、これがバカ売れしちゃったもんだから、もう笑うしかないし、なんか音楽的に日本の模倣は許されたような気もした。けど、本当の意味で、日本にロックは生まれないのです。これについて特に憂いてるわけではないのね。日本では生まれないなーって思ってるだけで、格好いいと思う古今のロック、いつでも聴けるし。無理して生もうとするより、日本に生きてるから作れる格好いい曲もあるのです。

というわけで、欧州のロック界が、形を変えてまた盛り上がるかもしれないと思い、ちょっとわくわくしています。でも、書いてて段々さびしくなって来た。日本ダセー。やっぱダセーと思うんです。


「理解」しても「納得」してんなよ。
しらーっとしてんなよ。ダセー。

ざけんな will.i.am。