「マイケルジャクソン」というコンテンツ:マーケティング考

クインシーがプロデュースしたMJの楽曲群の何が優れているのか、今まで核心を突いた日本語記事に当たらなかったのでちょっと書いてみます。

クインシーの卓越した音楽性と、MJの完ぺき主義というかエンターテナーとして、アドリブに弱いがために、とことん練習を重ねた、ということも大前提として。

知らない方は少ないと思いますが一応。

マイケル・ジャクソン
http://ja.wikipedia.org/wiki/マイケル・ジャクソン

クインシー・ジョーンズ
http://ja.wikipedia.org/wiki/クインシー・ジョーンズ


当時、MJ曲の多くのターゲットとなっていたアメリカの10代〜20代のアメリカの若者は、スクールカーストの洗礼を受けていました。このブログの図が見やすい。アメリカの学生社会のヒエラルキーhttp://www.qetic.jp/blog/natsack/?p=2114

なにかに気がつきませんか?

クインシープロデュースのMJの楽曲群には、ヒエラルキートップの要素(質の高いMJのダンスと取り巻き)と、ナード層(ゴス)、圏外のBad boysが入っているのです。もちろん、これを一曲だけで形成したのではなく、ヒット曲数曲の中で形作られていった。

これを知ってか知らずか、踏襲しているのは、その後のヒットコンテンツ、Backstreet Boys

http://ja.wikipedia.org/wiki/バックストリート・ボーイズ

メンバーは、ヒエラルキートップのまさにアメリカンフットボールのスター選手なんだけど(女の子だと、チアリーダーですね)、ネーミングは、社会から拒絶された層。これは、マーケティングとしてとても優れている。ただ、このバランスってのがすごく難しい。ヒエラルキートップを前面に押し出すと、衰退が早いのです。なぜか。

このヒエラルキートップは「モテ」を要としているからですね。モテるのが強者。これは、性対象としての需要がなくなれば終了するコンテンツの例。

MJに含まれていた、ナード層には、真似して、からかえるみたいな、面白味があります。「真似をしたい」と思わせる要素ってのが、どこにあるか、とてもよくわかる。「真似がしたくなる」「真似をして、からかえる」のは、炎上マーケティングのベースみたいなもんで。


で、世界的に、こういったヒエラルキーマーケティングをしっかり取り入れてるかも?やり手がいるかも?と感じさせるのは、韓国のSMエンタテイメントさんです。マーケティングが非常にクリティカル。アメリカエンタは現在アーティスト頼みみたいになっちゃってますね。わかりやすいし、それはそれで素晴らしいアプローチと思います。が、組織にしてみれば、リスクは高い。

コンテンツ力が高く、資金潤沢なアメリカのドラマは、今、たくさんの人種を取り入れて作ることが、一つのマーケティングになっているようです。


作曲家は、作品自体がマーケティングの結果であり、戦略でもあるので、こういったことも常日頃考えたりしております。