ブルースのこと

関西の最終選考に残ったのは5人のクリエイターだった。殺風景な会議室で待ち時間、緊張している他のクリエイターに声をかけることができたのは、私がまだ作曲を始めて一年くらいだったからだと思う。なんの気負いもなかった。自分が未熟なことはわかっていたし、一番下っ端の私が場を和ませる役を引き受けるのは、当然のように思った。

その中の一人は、ギターを弾く作家さんだった。彼は、クラシックピアノ出身の私が到底作れないような曲を披露した。ブルースだった。




それは関西に生まれて関西に育った、まさに彼自身の曲だったし、彼自身の声だった。虚構でないことがはっきりとわかった。嘘偽りなく、彼の歌だった。当時、ポップスとは虚構であると思っていた私は、軽くショックを受け一瞬視界を失った。私の曲はどこにあるのだろう、どこにもないと思った。私の声はどういう声だろう。わからない、と思った。生きていくうえで、正直になることや、本当の声を出すことは、必要ないことであると思っていたし、下手をすると損を招くと考えていた。だけど、私は彼の圧倒的な曲に打ちのめされていた。視界が戻ると、絶望のようなものが、静かに横たわっていた。私はグランドピアノを買い与えられ、学校の行事でピアノを弾く、望まれたように生きてきただけの人間だった。

聴き終わって、しばらくして我に返った私は、考えを巡らせた。このジャンルを知らないわけではない。リサーチしてアナライズすれば、何十曲か試作してみれば、時間はかかっても作れる。他社の取締役にも、R&Bを書いてみて欲しいと言われていた。その会社のスター作家は、当時の日本を代表する作家だったけど、致命的なまでにR&Bが書けなかった。

前後を忘れてしまったけど、宇多田ヒカルさんが出てきてしばらく経っていた頃だったように思う。関西のレーベルは早々に手を打ち、宇多田ヒカルさんに類似するアーティストを立て、商業的な成功を収めていた。




時代背景や階級なんてどうでもいいような、コンテクスト無視の音楽が日本にあふれているのは、日本では、階級が意識されないからだと思います。日本ではみんなアッパーミドルみたいな顔をして暮らしている。私が住む西の田舎では、ハイブランドのバッグを持っていない女性はいないに等しい。ハイブランドのバッグを持つとき、他の目立つアイティムは、ノーブランドでも品質の良いものとコーディネートしなければ、ちぐはぐになってしまう。ツーランク以上離れたブランドのコーディネートをすると、とんでもなく滑稽に見える。雑誌の特集が組まれるブランド品を節操なく取り入れていると、一つ身につけるごとに、品がなくなる。だけど、日本の片田舎では、それに気がつく人は少ない。


それと同じことが音楽にも起こっています。ちぐはぐで、滑稽で、節操がないようなことが。




私は、ちぐはぐで、滑稽で、節操がなくても、プロジェクトが成功すれば、日本ではハッピーだと考えていた。気がつく人が少ないなら。他の大多数の人と同じく、(別にいいじゃない)と思っていた。だけど、ずっと、自分が音楽を作っている意味は、よくわからなかった。よくわかっていなくともいいと考えていた。目を瞑って駆け抜けることが肝心だと。そして、私にはこれしかできないから、と。少し考えれば、いくらでも思いつく。自分を上手く納得させ、走りぬく程度のことは「みんなやってる」と。

メインストリーム音楽の、ちぐはぐで、滑稽で、節操がないプロジェクトは、今や溺れそうな子供のように見える。優秀で、望まれることを完璧にこなし、感情的になることはなく、いつも笑顔を浮かべ、本当のことはけして口にしない賢い子だ。溺れている人は、遠めに見ると、溺れているように見えないらしい。時折水面から顔を出して息継ぎをしている。ようやくこちらが気がついて手を差し伸べるけど、寸でのところで手が届かない。まるで悪夢のようだと思う。




近くの工場の寮から、中国から来たと思しき、20代女性の工員が、数人で自転車を走らせて出てくる。明るく快活な話し声で、遠くからでもすぐわかる。日本の女性は、公道で、あんなに明るく快活にお喋りすることはない。みな、ダンボールを荷台にくくり付けている。格安の店で、食料品を買い貯めし、ダンボールに詰めて寮へと帰ってくる。その工場のアッパーミドルの技術者は、昨年、中国と日本の情勢が緊張状態になったとき、挨拶に来て、国へ帰ってしまった。やりきれない気持ちだった。頭の良い人で、中国の面白い話を幾つも聞かせてもらった。違う工場では、インドネシアとタイへ出向を募っている。もちろん自主退職者も随時募っている。いくら休んでもいい工場もある。給与の6割だか7割を保障するらしい。

そろそろブルースを作ろう。日本人の多くが、アッパーミドルではないと思い知らされるときがやってくる。ブルースには辛い人生を肯定する力があって、正直でありさえすれば、いつだって優しい。