「友達と間柄」「遠い人」

「友達と間柄」

時々web上の全部を放り出しても大丈夫だよね、と確認したくなります。そして、実際に放り出してみると、面白いくらい大丈夫なので、感動すら覚える。


たくさんの情報がある。
たくさんの人がいる。


特に、webで知り合った方からは、本を薦められることがたくさんあります。Webで発信している文章を読むと、読んできた本の総量や、傾向、本から受け取ってきた内容の深度がわかりやすいので、本は薦めやすいのだと思う。

先日、webで、知人に本を薦められながら、(今一番読みたいのは「プレシャス」の原作だなー)とぼんやりと考えていました。そういえば、彼に薦められた本を面白いと感じたことがなかったことに気がついた。なんだか酷い。まぁ、でも、出会いたい本には、自分で出会ってきたなぁと思う。

私は彼を友達だと思っているし、彼はいつも、単刀直入に会話することを好むので、今度、それをちゃんと伝えようと思う。なんだか、ポヤーンとしていると、そのときにちゃんと伝えられなくて、あとからこんな風に気がついたりする。自分のアホさを思います。

ぶっちゃけ、本当に欲しいものなんてのは、自分自身が一番よく知っているのだと思います。それを言える間柄はとてもいいものだと思う。



「遠い人」

母が地域で、少し責任のあるポジションを任された。一年間の任期らしい。昨晩はその集まりがあったようだ。

今朝、キッチンへ行くと、母がテンパりながら、整理されていないことをまくし立てる。彼女の手元には分厚い書類のファイル。
「たくさんやることがありすぎて、覚えられないし、なにをやっていいのかわからない」
「書いとけばいいよ」
似たようなことを、言葉を変えて何度も言うので、そのたびに落ち着いた声で
「書いとけばいいよ」
と言う。そうすると、
「書いておいてもわからなくなる」
「前任者は仕事の経験があるから、できるけど私にはできない」
と、できない理由を並べる。
「それは、やりたくないだけなのでは。(でもやらなければいけないので、アドバイスしてる。落ち着け)できることは手伝うから」
と、できるだけ嫌味に聞こえないよう、細心の注意を払いながら、私は言う。タスクごとに書き込みができるスケジュール帳をプリントアウトしてあげようかと考えている。解決の一歩手前だ。もうすぐだ。続けざまに母が口を開く。
「今朝9時から集まることがあるのだけど」
おっと。違う問題に移った。いつものことなのだけど、いつも少しだけ驚く。彼女はまるで、問題を解決したくないように見える。

こんなやり取りが数分続き、私の言葉は全てスルーされ、母は、今日の予定確認のため、電話をかける。電話を切り終えた後、
「できないと言ってたら、みんな助けてくれる」
もはや私に向かって話してはいない。
「うんうん、助けてもらったらいいよ」
できるだけやさしく言うけど、私の言葉は、彼女には届いていない。

私は彼女にとっては「思いやりのない人間」だと思う。何度か面と向かってそう言われたこともある。場がテンパっているときに、冷静に対策を講じたら、弟に「なにその事務的な対応」となじられたこともある。

頭のいい人とのやり取りで、時折、(あ、今私は対処されてるな)とか(私のメールを「処理」してるな)と感じることがある。私は、それを責めたりはしない人間だと思う。そう感じさせない頭のいい人は、すごいなぁ、と思うことはあっても。

ただ、そうじゃない人と、そんなことを考えず、楽しく一緒にいたいなぁと思うことはある。同じ程度の処理能力を持っていると、気にならないのかなと考えることがある。



遠くに住んでいる友達がいる。いつも上機嫌で冴えている。ガメという人です。Twitterで私が一言書くと、彼がモニタの向こう側で、じっと言葉の意味を考えているのがわかることがある。そんなときは、感動したり、(大した意味はなかったんだけど、ゴメン)とクスクス笑ったりする。その後、彼のために、丁寧に言葉をつむごうと考えたりします。


「星の呼吸」は今日の帰宅後、気力が残っていたら、収録です。最近は、制作のことをたくさん考えていて、不定期になってきた。