権威、誠実、才覚などを持っている人は、おおっぴらにひけらかさずに、こっそりとそれを用いて、その時に適った行いをするのがいいのだそうだ。ふむふむ。


私は持ち物が少ないので気が楽です。権威、誠実、才覚、どれも生まれついてのもののように思えますが、万が一持ち物が多くなったときには、これを思い出そうと思います。


ありゃ、なんだか小学校の作文みたいな感じで完結しちゃいましたね。これから執筆にも挑戦するかもしれないという人間が、これではいけません!


というわけで、ちょっとお話ずれますが、権威、誠実、才覚、こういった人間が持っている目には見えないもの、様々な要素がありますが、現実にキレイに体現されるよなぁと思います。


「なんで俺がこんな目に」
「私はなんて運がいいのでしょう」


どちらも傍目から見ると、いや、それ、起こって当然のことだし、あなたにしか起こりえないことだから、と思うのだけど案外本人は気がつかないものなのかもしれません。


私も自分のことはよくわかりません。思い返してみると、修羅場の真ん中でぽやーんみたいなことはよくあるなぁと思います。達観とかそういういいもんじゃなく、ぽやーん。私は作る以外のことは、あれしようとかこれしようとかあんまり思えないので、修羅場の真ん中にいるくらいが丁度いいのかもしれません。時々修羅場の人から声がかかると、修羅場っぽくお返事もできます。なんだこれ、技能?修羅場っぽいお返事三段とか?迷子二段しか持っていないと思っていたけど、とてもよかったですね。


今日は「坤為地」でしたー。あれ、昨日と同じだな。おお、卦を書くより、タイトルみたいなところを引用したほうが良かったのか。「黄裳、元吉なり」でしたー。(「易経」一日一言より)