先日の日記で今やっていることは「自分を通過点にする感覚」と書きましたが、たまたま「あーこれって私が思ってることに近いなー」というモデルさんの記事を発見しましたので引用です。

撮影が始まってから、その方に「あなたのことは撮りたくない、帰って。あなたは自分がどう撮られたいかを意識しているから撮りたくない」と言われたんです。その言葉が「ガーン」と来ちゃったんです。負けず嫌いなところもあるんですが、その言葉の意味を今ちゃんと理解しなきゃって思って、泣きそうになりながら「どうゆう意味ですか」って聞いたら、「あなたは自意識がパンパンに詰まっていて、私たちがイメージを入れる余地がない」って言われました。モデルというのは、クリエーターが考えたイメージを表現するものだから、空っぽの状態で来なければいけない、そういう意味だったんです。

ふむふむ。

それがきっかけで、仕事への取り組み方がさらに変わりました。まずは空っぽじゃなきゃいけない、その上で言われたことを頭で考えるんじゃなくて、スポーツ的な感覚、反射神経ですぐ答えられるようにしなければいけないって思うようになりました。撮影では、天候について、風がこちらから吹いているとか、日はこっちから当たっているとか、クライアントさんは何人いて、カメラマンさんはどういう状態で、ヘアメイクはこうで、服はどこを見せればいいのかとか、ほとんどの状況を一通り把握して、その上で無意識にキャラクターになっていくという。そんな風にやっているうちに、何でも対応できるようになりました。

本文
http://kirei.mainichi.jp/beautiful/niu/on-files/photo007.html

商業作家とはこういうことかなと思います。何にでも対応できるようになって、それでも出てくる個性こそ、その作家の個性だろうなぁと。まだまだ課題はいっぱいだけど、例えば曲が多くの人に聴いてもらえるようになっても、これは勘違したらあかんとこよなぁと思ったりしました。みんなこういうことを乗り越えてプロになるんやなぁと。みんなすごいなぁ。

世間一般的な作曲家のイメージって、好きなことをやってるという感じなのでしょうが、昔も今も、やり手の作家さんというのは、作詞家も作曲家もこういう感じだと思います。

私は考えこんでしまうタイプなので、もっと体育会系な感覚が欲しいなぁと思っています。まぁ、どちらにも一長一短な部分はあるのでしょうが、打てば響くというのは単純に気持ちいい。時もあるのです。