メディアがご専門の方に現場で役立ちそうなものを、と尋ねて、読んでみました。要するに次の一手を考えたいということです。

内容は、有名性の概念、それを作り上げるメディアの時代による移り変わりとそれに付随する解析、考察です。残念ながら音楽文化にはあまり触れられていませんでしたが、マドンナの戦略的なスキャンダルということにちらっと触れていました。

有名性という文化装置

有名性という文化装置


 戦略的な有名性


ここでちょっと疑問が。マドンナには、厳密な契約の上で、戦略的なスキャンダルなどを専門にしているコンサルがいるのか、それとも、マドンナの多くのブレーンが作り出している現象で、明確で緻密な戦略はないのか。これはとても興味があります。マドンナは、デビュー当時から、セックスとお金というタブーを冒していく役割を担っていた。タブーを冒していくのは芸術の一つの役割であると思います。マドンナはそれらをコントロールできる組織や P をその都度選んでいるようにも見える。


ところで、私生活や私的な感情を売り物にしたとき、有名人の中で多くの人に受け止められた自分と本当の自分に乖離が生まれます。多くの有名人はそれに悩むそうで米国だと専門のセラピストががっつり儲けてそうですね。マドンナは戦略的なアプローチをしているかもしれない。しかし、その乖離の葛藤をまた作品に(商売に)したという意味では(ある時期までは)ビートルズの方が戦略的だったと思うのです。


 で、次の戦略ってどんなんなんか


こういった著書の中ではマスの時代は終わったとかよく言われますが、私は全くそうは思わない。よりコアな方向に行きつつもマスの意識に訴えるものというものは存在するし、それは今も昔も変わらない。マーケットとしても、音楽を購入する層というのは変わらず存在する。インターネットが普及し、それに付随して様々な法が改正され、その間ばたばたしていたとしても、作る人がいて、買う人がいる、それにはなんの変わりも無い。商売というものは、買う人がより多い所を選んで宣伝する、これは非常に単純で明快。

だけど、これは自分を安心させるための思考なのかと考え、また立ち止まるわけです。メディアが変わると、ニーズが変わる。これもまた真実です。ここに何か大切なことがあると思うし、私は好んでそういったことに関わってきた。なので、これについては、もう少し考えたいと思います。


 文化装置に依存しない制作


作る側としては、文化装置(メディア)に依存していてはいけない部分もあります。もちろん CM スポットでインパクトのあるフレーズとか、ドラマのエンディングで感動的なものをとか、ニーズがあるからこそ生まれる文化もありますし、それらが時代を彩る様は面白いし、美しい。しかし特にメディアの移行期には、なにか他に作れるモチベーションを見つけておかないと、足元を見失ってしまう。個人的なことを言うと、私はようやくそれを見つけかけているところかなと思います。元々あったものを引き出している感もなくはない。まぁ、そういうものですよね。


 金のこと


それぞれの章で考えさせられることもあるし、世の中の人は、様々な有名性や、文化装置の中に生きていて、なにかを選択して(させられて)人は生きているというような、著者の哲学っぽいものもある。しかし読了後、どうもしっくりこない。バラバラしている感が残る。いろいろ考えていて、それは一つに、金のことが書かれていないからだなぁと思い当たりました。具体的な案件なしに、分析、考察を進めてしまうとこういう文章になるのかなぁと。論文というものはこういうものだと言い切られれば、そですよね、で済むのでしょうが、このずれているという感覚は自己啓発本とあんまり変わらんなぁと思ったのでした。成功と金のことだけを話すのか、机上の考察だけを話すのか、前者は下世話だと受け取られやすく、後者はわかりにくく臆病と取られやすい。私にとっては、どちらもどうなのかと思う感覚の大きさはあんま変わらんなぁと思ったのでした。

 だけどお役立ち本でした!


文章の端々で様々な考察をめぐらせることができたので、そういう意味ではとても役立ちました。ディッシュ & チークにオススメしてもらったよ!ありがとう!やつはなんでも知ってるんだよ!