ニコール・キッドマン、美しす。プライドをかなぐり捨て、侮辱に塗れ、屈して傅いているシーンでさえもこの人は美しい。


それで、お話ですが、最後まで少年が亡くなった旦那さんの生まれ変わりなのかどうなのか、曖昧にされたままです。この映画を見るとほんまなんか嘘かなんかなんてのは、わからんもんやしどうでもええなぁと思います。どうでもええなぁというか、わからんでもしゃーないよなぁって。そういうこともあるけど、それをわかりたい、わかりたいって思って悩んだりしてると自分の人生もったいないことになるやん?


あと、思ったんは、誰がどう願おうと人の心なんて勝手に動きよるってこと。誰かを好きになったり、嫌いになったりするんは、ままならんこと。ほんと心ってままならん。心が移り変わるのは自分の責任で誰のせいにも出来んし、誰かの心が変わったからって、それは誰にも責められることじゃないしなぁ。なんかほんま、しょうがないことってあるよなぁ。女心と秋の空というではないか。男も、ちょっとかわいいおねえちゃん見ただけで簡単に動きよるし!あは。


だからこそ人って誰かと一緒におりたいって思ったりするん違うかなって思った。一緒におるってことはそのときのその人との時間は共有できるってことやし、一緒におる時ってほんまも嘘もないやん。で、男女の一緒にいよな、みたいのは、ほんまの心がどうとか、愛しているか、愛してないかとかいうよりも、お互いがずっと一緒におれるように、居心地よくできるように、心遣いを重ねていくみたいなことやと思う。


最近よく思うんよな。この人のこと知りたいなぁって思うことあるやん。お互いがずっと一緒におれるような心遣いをしようと思ったら、相手のこともよく知らんとあかんし、自分もよく見てもらわなあかん。だから知りたいなぁって思うんは、ええことやなぁって。


うーん、いろいろ思ったよ。映画の作りなのですが、セリフが少なくずーっとその人を映すカット割りが頻繁に出てきます。その間に登場者の心理の想像を促すという手法です。こういう間は日本人が得意とするところじゃないのかと思うのですが、邦画でイイカンジの間を持たせてある映画にはなかなかお目にかかれません。この映画の間はかなりよかった。いい映画やった。


ところでEDの歌は youpy が選んだかと思った。 youpy やったらこのセレクトやろなーって思ってにこにこしてしまいました。