ボーカルをきっちりとした音程(12音階)に当てはめ補正する音楽ソフト、「オートチューン」に関しての賛否両論をよく拝見します。

・オートチューン賛成派

「手軽に違和感なく音程を補正できる時代だし、聴くほうも聴き易いわけだし、固いこと言ってないで補正したらいいじゃん」
「向き合わない音楽として、環境と捉えたときの音楽として、人間らしい歌より、多少機械っぽい方が聴きやすい」 などなど。

・オートチューン反対派

「ボーカルの音程を補正しないのは大したもんだ、それこそが音楽だ」
「そもそも補正する必要があるのなら、プロとして成り立っていない、上手く歌えて当然」 などなど。

今日はこの議論に終止符を打ちたい(大きく出た)。


オートチューンを使わない方がかっこいい、しかもバリューが出せるボーカルって、実際いるの?問題

いないんじゃないかな。

わはは。

いないんじゃないかな、は、言い過ぎでしたが、少ないですよに。メジャーシーンでオートチューンを使わないでかっこいいって、ぱっと思い浮かぶのがお一人だけなんですよね。(とTwitterで書きましたが、二人思い浮かんだなう)

上手いなーと思う方はたくさんいらっしゃるんです。でも、相当上手くても、「12音階の中で上手い方」はオートチューン使えばいいと思うのです。その方がよく聞こえるんだもの。「聴きやすい」に価値があるんだもの。そして、「聴きやすい」は今やデフォルトです。日本人の耳には、標準装備になってしまった。


オートチューンを使用しないボーカルの価値があるのだとすれば、その中身ってなんぞ

んじゃ、逆から考えてみよう。オートチューンを使わなくても価値があるケースって一体どんなんなのか。

・ボーカルさんが自作のメロディでライブを重ね、なにが伝わるのかの体感があり、その集積があること
・それを以降のアウトプットに繋げられていること
・たくさんの好きな音源を聴いて、その中で心を動かされる箇所のリストアップが出来ていること
・それを生かしたメロディが作れること

などですかねー。書いてみると、ボーカルとしての日々の極々当然の積み重ねだと思うのだけど、今、それが日本のメジャーシーンで出来ると唯一無二になるかと思われます。普通出来ないんですよ。メジャーの多くの曲(ポップス)は高度な分業作業だから。まず、作曲者とボーカルが別。作曲者とボーカルディレクションも別。

ちなみに、メジャーレーベルのDやPとお話していて「こういう子がいます。どう思われますか?」とお伺いを立てると、高確率で「曲か歌詞が書ける?」と聞かれます。俺と役割分担ができるから、俺が資料持ってんだろ!と思いますが、もちろん申し上げません。ええ、ええ。


よって、ほとんどのボーカルはオートチューンを使用してもいいと考えます

唯一無二が作れないほとんどのボーカルは、オートチューン使えばいいべ。先にも書いたけど、その方が価値が上がるのだから。ある意味、市場は上手い人コンテストだし上手いの当たり前だし、すごく上手い人は更に上手に聴こえるようオートチューン使えばいいと思う。高いレベルで唯一無二の価値が生み出せる人しか、オートチューン無しで価値なんて作れないべ。オートチューン無しだと、価値がないも同然なんですよ。

わかりやすく女優さんで例えてみますね。実力派で個性派女優以外の美人風女優はみんなフォトショでがんばってください。美人女優も更に美しく見えるよう、フォトショ使ってくださいってのとほぼ同義です。フォトショ使わなくていいのは「実力派で個性派女優(美人を兼ね備えていることもある)」だけです。

ただ、そこにあぐらをかいてしまっては良くないとは思う。ていうか、意味ないよね。歌う意味がないんじゃないかって思っちゃうよ。歌い手さんも、歌い手としてのモチベーションを保ち続けるのが難しいんじゃないかなっていらぬ心配をしちゃったりするよ。歌ってることに、価値を見出せますか?ずっと続けられますか?ほとんどの人はYESとは答えられないんじゃないかな。どうだろ。


メロディメイカーとして絶望した

プチ絶望(笑)。ファッション絶望(笑)。前述の通り、結局は「伝える」なんて、まっとうにやってる極一部のボーカリストが作るメロディでしか体現できないし、作曲家なんぞは、12音階の中で永遠に彷徨うのだー。と思って、今日は軽く絶望していました。そういう意味で歌える作曲家は微妙に有利ですが、昨今の作曲家はやること多いからなー。単純に時間配分として、歌唱研究のウェイトは低くなります。まぁ、絶望していても始まりませんし、自分でも歌唱をもっと研究しようず、とか、リタちゃんにもう少し作曲スキルを伝授するか、彼女の興味を深く掘り下げてもらうかして、もっと強力なタッグにしようず、とか、目標を掲げてはみました。リタちゃんは、そういう意味でも頭一個抜けてて、レコーディングの現場で、フェイクや歌い回しなんかを考えてきてくださって、ぽいぽい提案してくれます。


なんでこんなこと考えたかって

今、自分の歌をピッチ補正いただいてるんですよね。うはは。マリタンも人の子ですから、ピッチ修正必要なんか、と思い悩むわけです。補正すれば、そりゃ聴きやすいんだろう、美しいのだろう、だけど、それって本当に必要なんだろうかって。

最後に

すごく個人的なことを言えば、私は、環境として耳に快適な音楽を聞き流すより、多少イビツでも、人がそこにいるということが感じられるのが好きなんだなー。って考えてたら、さっき同じ内容のメッセージを頂いて、すごく嬉しかった。(高度なボーカル補正をしていただきながら)



あとな!ピッチの僅かな違いが聞き分けられるのと、正確に歌えるのとはちげーんだよ!

ちなみに私は、10cent違ったらそれがわかるのですが(centとは音楽の単位で、半音を100分割したものです。半音の1/100=1centです)ですが、歌うとなるとちょっと話は違ってくるんですよに。正しい音程がわかっていてもきっちりとしたピッチではなかなか歌えないのです。だから、素でピッチが正確な方って、稀ではあるんですよ。あぁ、しかし「正確」ににどれだけの価値があるのだろう。(前述の通り、現在は「正確」がデフォルトなので価値がないとは口が裂けても言いまてん)

--あとがき--
サラリーマン体質作家なので、ちとあとがきを(笑)。そもそも、作家は芸能に関わる、夢を売る商売なんだから、「オートチューン」とか、裏舞台を書かないほうがいいんじゃねーの?問題につきまして。例えば、フォトショでいくらでも容姿を美しく出来ると知っている人が多くなると、「画像加工ソフトでいじってる」と噂されて、それが広がるリスクより、「フォトショの技術」という周知があった方が、価値が保てると思うのですよね。ボーカルに関しても、そろそろ過渡期かと。もう一点、夢を売るってこと自体がSNS登場以降、崩壊してないか?これについては、また考えたい。

それはさておき、なにより、作る人、歌う人が、この問題を考えないなんてことはないと思うのですよね。誰もが一度は考え、もやっとしたものを抱えながら走ってる。そこをすっきりさせたかったのです。ご意見ご感想、お待ちしておりますん♪